2019年海外記 #6 〜試練のフィリピン・集大成カンボジア編〜
11月末。サークルの同回3人でフィリピンに旅行の予定をたてた。
コムラの「普通の旅がしてぇ」との言葉に違わず、計画段階ではなんの変哲もない通常の旅だった。
...だが、普段は歓迎している「アイツ」が来ることがわかって状況は一変した。
台風。Typhoon。Bagyo。(タガログ語で台風の意。)
「離島の海で陽キャになろう」と言う根暗大学生のささやかな夢は打ち壊された。
航空券ももったいないので、とりあえずフィリピンに行って様子をみようと言うことに。
こうして文字通り「波乱」のフィリピン旅は幕を開けた。
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1.離島・台風・ビーチ ~フィリピン・プエルトガレラ ~
関空からマニラに到着、1泊ののちにミンドロ島のプエルトガレラへ。
台風が来る前の海は穏やかで、どうにも危機感は生まれない。
我々は、台風の備えが心許ないであろうミンドロ島の宿泊を1泊に抑えて、とんぼ返りでマニラに戻る予定でいた。
そしてその夜、アパートメントの支配人に「1泊でマニラに帰る」旨を伝えると...
「The ferry will not work tomorrow. Maybe day after tomorrow.」
終わった。フェリーの欠航はすでに決まっていた。
こうして、陽キャを目指すはずだった旅はフィリピンの離島で大型台風を耐え忍ぶチャレンジへと変わった。
幸い、アパートメントには素晴らしい設備のキッチンがあったので我々は食事に困ることは無かった。
やがて台風が来る。島全体が停電する。
ホテルなどには自家発電機があったものの、数時間単位の計画停電があった。
あとはアパートメントの自室で酒を飲みながら耐えた。ひたすらに耐えた。
途中でクキが様々なトランプゲームのルールを我々に教えてくれたが、コムラの偏差値が足り無かった。
人間、選択肢のない退屈は非常に辛いものだと実感した。
停電でスマホもろくに触れないし何もすることがない。
幸いクキもコムラも面白い奴らだったので耐えた。
こうして約2日間、我々は台風に耐えた。
延泊最終日。台風は過ぎ去ったがまだフェリーは欠航だった。
我々は、ミンドロ島でも有数のビーチ、ホワイトビーチに行くことにした。
ホワイトビーチでは、クキが持ち前のアジアンテイストフェイスを生かして麻薬の売人に声をかけられまくっていた。
正直延泊して良かったと思った。ありがとうプエルトガレラ。
今回というか今年の旅全体を通して、「人が住んでいる限りなんとかなる」ということを実感できた。
最低限のリスクヘッジ、その「最低限」がどの程度なのかを学べた気がする。
とりあえずコムラ、お前はSIMカードをもってこい。
2.成長を感じたカンボジア・シェムリアップ
マニラでクキ・コムラと別れたのち、1人でそのままカンボジアのシェムリアップに向かった。
シェムリアップに行くのは1年ぶり2回目。大きな理由の1つは「アンコールワットマラソン」に参加することだった。
だんだん文章を書くのがしんどくなってきたので、イベントに関しては写真で振り返ることにしよう。
まずシェムリアップに到着して最初にしたことがこちら
今回の旅を通してだったが、「本能で動く奴」と一緒に旅をするとそいつがうらやましくなる。
自分のやりたいことに対して真っ直ぐだし、そのための多少の身内の迷惑は厭わない。
損得勘定を気にしてしまう自分は結局モブキャラだな、と思う。
その次がこれ。
タイ・カンボジア国境にあるプレアビヒア寺院。境界線と法の一般原則がポイントとなった国際法判例で有名。
ちなみに一緒に行ったグループの中に同じ大学の法学部出身弁護士がいて逆に肩身が狭くなった。あぁ、弁護士なろうかな。
そしてメインイベント。
アンコールワット国際ハーフマラソンに出場。お互い腹痛に悩まされた。
走ってる時はエントリーしたことをめちゃくちゃ後悔するのに、ゴールした瞬間もう一回挑戦したくなる不思議。今度はちゃんと調整してでたいね。
そして最後にここ。
日本のNPO法人が設立したブランド「SALASUSU」の工房にお邪魔した。
教育と労働を一体化して女性達と共に成長していくという理念に共感。
...とまあ今回のシェムリ滞在は大体こんな感じだった。
1年前、シェムリアップを初めて訪れたこともあり、それと今回を比較するとシェムリアップの変化だけでなく、自分の成長も感じることができた。
まずは英語力。これは著しく上がった訳ではないが、それでも昨年と比較すると一目瞭然だった。やはり語学は継続して使うことが何よりも大事だと実感した。
そしてメンタル。昨年は海外に対する気負い・過度な恐怖心があったが今年はそれが払拭された。真夜中のカンボジアの道端で友達が酔い潰れて死にそうになっていてもそれを鼻で笑うくらいの余裕はできた。
もう1つあげるとするならば、カンボジアを初めとする海外との関わり方。今年1年間ひたすらに経験を積み、自分で消化してきたことによって、いわゆる途上国「支援」や「相互利益」の考え方を得ることができた。答えが決まった訳ではないが、考え続けてきたという自信はある。
3.まとめ
今年1年の旅が終わった。
13ヵ国・23都市。約100日間・80万円。
もともと海外なんかこれっぽっちも興味が無かった自分がここまでこうなるとは思わなかった。
だが正直、自分の中ではある意味で当たり前の行動であった気がする。
自分の住んでいる世界について知るというのは、ごく普通のことだから。
2020年の3月まで、自分には時間がある。
できるだけ、できるだけ遠くに行きたい。
足が動くうちに。