2019年海外記 #5 〜タイ北部・ラオス望郷の旅〜
10月末、バンコクの法律事務所でインターンシップを終えた私はそのまま旅に出た。
東南アジア大陸部の中でもより内陸に位置するこの2つの都市。
古くは首都として栄えたチェンマイ。そして「世界一何も無い首都」と言われるヴィエンチャン。
これまで割と「観光地」や「都市」をメインに旅をしてきた自分が、一体何を感じるのか。
たっぷりの好奇心を持ってスワンナプームへと向かった。
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1.安寧を求めて・チェンマイ
バンコクから飛行機で約1時間。私は初めてチェンマイに降り立った。
空港からバスに乗り、チェンマイ中心部へと向かう。
チェンマイがどういうどこであるかは、私の過去記事を参考にしてくれると嬉しい。
端的に言うと、「街綺麗・人少ない・カフェお洒落・物価安い」最高の街だった。
近年タイへの観光客や在住外国人の数は爆発的に増加しているが、その多くはバンコクを拠点にしている。
最近ではバンコクの物価もそれほど「安い!」とは言えなくなってきた。
そんな中で訪れたチェンマイは、このように物質的側面でみても最高だった。
そしてそれ以上にチェンマイで感じたのは、「心の余裕」だ。
おそらくこれは、「日本人は物質的には豊かだが、発展途上国の人の方が心の豊かさがある〜(適当)。」と言ったような、優位性に塗り固められたポジショントークよりもある程度根拠のあるものだと思う。
「心の余裕」と言うのは、最低限の金銭的余裕があってこそ生まれるものだと私は考えている。
ここに、チェンマイの経済に関する情報がある。
www.chiangmai.th.emb-japan.go.jp
人口比で見ると、チェンマイは他の都市より相対的に「金銭的余裕」のある県だ。
市場の物売り達もあまりがめつい印象が無い。
そしてこのような現地民に加えて、中高年層がリタイア後の隠居地としてチェンマイに移住するパターンが最近多いらしい。
なんか、中高年ファランって優しそうやん?(突然の偏見)
こんな感じで、私は「心の余裕」を感じた。
チェンマイではずっと1人旅だったので、多くの現地民と話す機会があったが、本当にみんなバンコクを好きじゃ無かったのが印象的だった。
世界一貧富の差が激しく、経済成長の歪みが最も顕著だと言われているタイ。
その中でチェンマイは、「安息の地」としての役割を担っていくのではないだろうか。
2.ヴィエンチャン ~何も無い。だが、それが良い。~
チェンマイから一旦バンコクに戻り、ラオスの首都・ヴィエンチャンへと向かう。
バンコクからヴィエンチャンに飛ぶ。ヴィエンチャンに着いたのは深夜23時だった。
空港で現地通貨をゲットできないと言うトラブルがあったが、飛行機の席が隣だったロシア人と相乗りしてなんとかヴィエンチャン市内まで出ることができた。
そして翌朝、街を歩くと疑問に思うことがあった。
...本当に一国の首都なのだろうか?
あぁ、マジで本当に何も無いんだ。
宮崎で言うと都城より少し田舎くらい。(伝われ)
それはヴィエンチャンのランドマーク、「ラオス凱旋門」ことパトゥーサイに登って見てもわかる。
本当に清々しいほど何もない。
だが、だがそれが良いのだ。
街を歩くとのんびりした空気が充満していることがわかる。
そして結構話しかけられる。マッサージの営業では無く、普通に人間同士の会話を求めて。
久々に好奇心と言う感性で人と話すことができた。(なおラオ語)
また、ヴィエンチャンはメコン川を挟んでタイとの国境にある街である。
現金が不足しなおラオスでATMが使えなかった私は、泳いでタイまで行ってATMを使おうか画策していた。(嘘)
何度も言うとおり「何もない」首都なので、暇なときはずっとメコン川を眺めていた。
この「暇なとき」が許されるのがヴィエンチャンの良いとこだと思う。
日本は島国で、海外にいく手段のほとんどが「飛行機」であることも関係していると思うが、「点」の旅をする人が多い気がする。
だからせっかくの旅行、「観光地」を選ぶし、隙間無く予定をいれたいと感じる。
私はそれが苦手だ。
だから、ヴィエンチャンくらいの「何もない」街で「ぼんやり」を楽しむ。
最高の贅沢な気がした。
3.まとめ
結論から言うと、今年1番行って良かったなと思ったのがチェンマイ・ヴィエンチャンだった。
今年1年は「経験」に焦点をあて、割と無理して海外機会を作ることを心がけていた。
その中で、この2つの街にいくことができて「思考の整理」ができた。
今まで得た経験を自分なりに消化し、栄養にできた気がした。
昨日は「刺激的な東南アジア」を紹介したが、今日は全く逆の東南アジアを経験したことを書くことができた。
これだから東南アジアはやめられない。
END.